森の中でお弁当を食べる
なんと9か月も練習してます・・・・なのに、なのに、なのに、現実は昨日の録画状態。
録画を見てガビーンとなって、身が引き締まりました・・・。
特に汚いふたつのマイナー(短調)を重点的にやっていたら、ちょっといつもの場所に違和感が。
おととし腱鞘炎になった、左手親指の付け根(手首に近いところ)です。
えっ??なんで???
やむなく、楽譜から目を離し手を凝視していたら、無駄な動きあるわ、準備せずに打鍵してるわ、手首や重心は不安定だわ、無理して広げてるとこがあるわ、で、こりゃあいかんと。
元々手が小さいので、オクターブなどは上からとれなくて鍵盤の手前から入れるような感じで弾くのですが、ひとつめのマイナーは結構左手を広げるところがあるんですよね。
あれこれやっていたら、おお??大丈夫かも??
しかも・・・・意外に、楽譜を見ないでも弾けるところがあるではないか。
うーーむ・・・・これは・・・・・この機会に暗譜してしまおう。と考えました。
なので、ペダルを踏まずにゆっくり弾いていたら、ちゃんと音符を読んでないところも発見(;´∀`)
さらにああでもないこうでもないとやっていたら、痛くなく弾けるような感じがしました。
音が並びだすと、案外見てるようで見てない楽譜。
一度ペダルをはずして、ゆーーっくりと、絵本を初めて読むように音を出していったり、はたまた楽譜を見ないでゆーーっくりと打鍵する場所をひとうひとつ脳内にインプットしていくのも有効だなあと思いました。
ふたつめのマイナーは、休符があるところとないところの弾き分けができなくて、ペダルをはずしたり入れたりしていたのですけど、なんだかツギハギ状態で、流れてないわ、ぶつ切りだわ・・・・で・・・・
でも、休符のところで、情熱大陸の練習のように「ウン」と声に出してみたら、案外わかりやすかったです。
「ウン」だけペダルを離して弾けるようにしたいけど、焦らない焦らない、今はとても大事な時、「速度をあげるのは最後だよ」との先生の言葉が浮かぶ。
せっかく歌詞もつけてるので、内声だけ歌ったり、メロディだけ歌ったりもしてみました。
歌ってみると、楽譜を見ないでも、休符のところが分かりやすかったです。
繰り返される主題部も、動画ではメロディが消えちゃうところがあったので、ちゃんとくっきり出るように。
なおかつ内声はうるさくしない、なおかつバスを感じて。
ほんとは主題部ももっと速く弾きたい。だってみんな速く弾いてるもの。ほんとは速い曲だもの。
でも、「間違ったり抜けたりするぐらいならゆっくりでもきれいに」とこの間先生に言われたばかり。
全部の音を出してあげよう。
この曲の譜読みを始めた頃は、 「木がわんさか生い茂る森の中。木が高すぎて密度が濃すぎて地面にほとんど日が差さない中、ところどころ、思いもかけず見たこともない美しい花を見つけるような。そこには神様がさしているかのように光がかかっているような。」と感じていた(過去記事より)。
それからしばらくすると、 「アラベスクという森の中にようやく入ってきて、上を見上げてたくさんの木々をながめているような心境。」となっている(過去記事より)。
今は・・・・美しい花、木々に差す光、雨のしずくが残る葉っぱ、飛び回る不思議な色の蝶々、時々姿を現す動物たち、を見ながら、ちょっと一休み、と座り込んでお弁当を食べている感じ。食べながら改めて見てみると、あれっ?こんなところにこんな虫がいた!おっ。あそこにあんな道あったっけ?と思っているような。
シューマンの書いたこの美しい曲、小山実稚恵さんのリサイタルのアンコールで聴いて、「なんてきれいなんだろう・・・」と、猛烈に弾きたくなったこの曲。
弾くのがわたしで申し訳ないけど、でも、愛はいっぱいだから、天国でシューマンも笑って許してくれるかなあ・・・・・。