本番直前のアラベスク
去年の6月から練習を開始して、3月の本番前だけは練習を中断しましたが、小山実稚恵さんのリサイタルのアンコールで聴いて以来、惚れてしまい、どうしても弾きたくて、弾けるようになりたくて、練習を続けてきました。
始めたときから無謀曲すぎることは分かっていたいのですが、さすがに1年も弾けば少しは手ごたえが出てくるかと想像していた以上に、難しい曲でした。
手が鍵盤に当たれば弾けるような曲じゃないんだと学習しました。
音が汚いとか、歌えないとか、声部が聴き分けられないとか、そういうのがダイレクトに現れて。
しかも主題部は何度も繰り返されて(わたしが弾くと)わりと長い曲なので、聴いてる人を飽きさせてしまいます。
変化をつけるのもできなくて。
ペダルも、ちょっとでも踏むタイミングがずれるとてきめんに音に現れ、細かく踏む変えなくてはならないのに、最初は濁っていることすらわかりませんでした。
「ペダルは耳で踏むもの」と、何度も聞いてきた言葉を何度思い出したか分かりません。
トロイメライ同様に、自分の耳や技術だけではなく、ピアノの弾きやすさ・・・たぶん整調になるのかな?ものすごく影響する曲なのでしょうか。
慣れた自分ちのピアノですら、一発目に弾くと出だしが汚くて、少し弾いて慣れないといけませんでした。今もそうです。
本番どうなることやら。
コーダに至っては、出したい音は全然でなくて、何度も何度も何度も何度も目を閉じてあれこれ打鍵してみましたが、最後まで、思うような音は出るようになりませんでした。
呼吸も、苦労しました。鼻から吸うが、ここにきてやっと、できるようになりつつありますが、まだまだ・・・。
お産のヒッヒッフーみたく、呼吸をなめてかかるとえらいめにあいますね。
そしてなんといっても難しいのは、この曲には一音たりとも無駄な音がないということでした。
全部、全編、合唱なのです。出だしは3声ですが、コーダはいっぱい。
せめて3声だけでも聴けるようになりたくてもできなくて、どれだけ、声部ごとに分けて弾いたり、弾きながら1声を歌ったか分かりません。
最近になってようやく、ようやくですよ?ふたつめのミノーレが、CDを聴いていても3声が同時に聴けるようになりました。
内声やバスを歌うのに、自分で作った歌詞はとても役に立ちました。
歌詞がなかったら、内声やバスを聴くのはもっと難しかったかもしれません。
とにもかくにも、元々が大好きな曲ですし、苦労した分だけ、変かもしれないけど、いとおしいです。
今でも、3回目に出てくる主題部やコーダでは、弾きながら泣きそうになったりしています。
今日のアラベスクです。
明日から本番まではろくに練習できません。
何度も何度も演奏をアップしてきて、すみません。聴いてくださった方、本当にありがとうございました。
ドレスも買いましたし、髪をアップにする練習もしました。
あとは、立派そうなホールで、とんでもなくうまい人たちの中に混じって、弾いて来ようと思います。生き恥ライブです。
徒然草150段で吉田兼好さんも書いてるしさ。
わたしみたいなピアノが好きすぎるおばちゃんがいてもいいよね・・・・。
150段現代語訳↓
芸能を身につけようとする人は、「うまくないうちは、うかつに人に知られないようにしよう。内々でよく練習して上手くなってから人前に出たら、たいそう奥ゆかしいだろう」と常に言うようだが、このように言う人は、一芸も身に付くことは無い。
いまだ全く不完全なころから、上手い人の中に交じって、けなされ笑われるにも恥じず、平然と押し通して稽古する人が、天性の才能は無くても、その道に停滞せず、いい加減にしないで年を送れば、才能があっても稽古をしない者よりは、最終的には名人の境地に到り、長所も伸び、人に認められて、ならびなき名を得る事である。
天下のものの上手といっても、始めはヘタクソの評判もあり、ひどい欠点もあった。しかし、その人がその道の規則・規律を正しく、これを大切にしていい加減にしなかったので、いつしか世間から認められる権威となって、万人の師となる事は、どんな道でも変わるはずはない。