練習曲をやるか否かよりも・・・
あとちょっとでツェルニー30番が終わるのですが、29番は全然進展していません・・・。
ちょっと速度をあげると粒が乱れ鍵盤の底に触ってないような気持ちの良くない音になってしまうので、ハノンの最初に書いてある色々な弾き方をして、よく聴くようにしているところです。
今後の練習曲ですが、もう何年も前から、30番が終わったらツェルニーは終了し、あとはライフワークとしてず~っとバッハを弾いていく、とりあえずは途中までやっているインベンションに戻る、と決めていたのですが、先日先生から、40番に行くか30番をもう一度やってはどうか と言われました。
何か練習曲をやって基礎を身に着けたいと希望したのが今から7年前。
ピアノ生活9年の間、ほとんどツェルニーはそばにいました。それでもあんな出来なんですけどね。→YouTubeチャンネル
29番を練習していて、なおかつ前記事にしたCDを聴いていたら、なぜグールドのピアノが聴いていて気持ちがいいか分かったような気がしました。
歌っているから、というのはもちろんそうなんですけど、全部の音が「きちんと入っている音」だからかなあと。
入っている音ってどういう意味?と聞かれると困るのだけど・・・
音に一つ一つせりふがあるようなというか、鍵盤の底を感じながら弾いていて、ふわふわした上滑りした音ではないというか、それでいて汚い音はひとつもないというか。
わたしはもともとペダルのない単音が大好きなんですけど、その、単音の粒のひとつひとつが、29番を弾いていて「あ、気持ちいい」と思える時の感覚に似ている、というか(すごいこと書いてるな・・・汗)。
29番で、「あ、気持ちいい」と思える時はとてもゆっくり弾いている時です。
速く「気持ちいい」音で「全部ちゃんと入っている」音で弾くグールドはすごいなあと思うし、
わたしはこんな速度でしか弾けないんじゃ、30番はやっぱり身の丈に合ってないんだろうなあとも思います。
だから、もし今後もツェルニーをやるとするなら、30番をもう一度だと思います。
実際、ツェルニーショックの洗礼を受けた、ちっとも楽しめずに苦しんだけで終わった1番や2番は、もう一度弾いてみたい気もします。
・・でも・・・・
時間がもったいないなあとも、思うのです。
大人が楽しみで弾くのなら、出来栄えはどうであれ、好きな曲、弾きたい曲を弾けばいいじゃないか、とも思うのです。
指がぴーんと立ってようが、拍子がとれてなかろうといいじゃないか、とも、思う時があります。
基礎に基づき流暢に弾いているのに、なんにも心に響かないピアノって、あるのですもの。
さて、わたしは、今後どうしたいんだろう?
「もっとうまくなりたい」その思いで頑張ってきました。理由は、「きれいに弾きたいから」。
「よく動くきちんと分離した指」は、まだ手に入っていません。「リズム感」もです。その他もうたくさん。
それでも、30番で初歩の初歩だけは身についたと仮定して、あとは、できる限り「気持ちのいい音」で弾けるように、やっぱりバッハで練習していきたいと先生に言おうかなあと考えています。
今29番で感じている「気持ちのいい音」は、粒が微妙に重なることなく、きちんとそろっていて、上滑りの打鍵ではなく、無造作に叩いて汚い音でもない、耳で拾える速度で、強弱もでこぼこせず、なだらかに上昇し、出すべき音はきちんと出す、そんな音なので、
バッハでもそれは練習できるんじゃないか、そして、40番や30番をもう一度やらないと手に入らないものは手に入らないかもしれないけど(それがなんなのかよくわからないけど)、それでもいいかなあ、人生短いし・・・と、考えているところです。
先生がなんて言うかは、わかりませんけどね(;´▽`A