「音霊」
そう初めて人から言われたのは、何年か前に幻想即興曲を練習している時だった。
無謀にもほどがあるその曲、ポリリズムのあの曲の右手と左手を合わせるだけで必死、じゃなくて、ちゃんと合ってなくて左手に付点がついて弾いていた頃だと思う。それでも、中間部はまだ弾きやすかったので、中間部だけでもきれいに弾きたいと思っていた。自分なりに考えているイメージもあったつもりだった。それでも、そう聴こえたようだった。
言われた当時はショックだった。ひどいことを言う、こんなに一生懸命弾いてるのに、とまで思った。
でも、その一言があったから、「・・・・わたしはいったいこの曲で何が言いたいんだろう?」と考えるようになった。
たくさんの幻想即興曲を聴いた。「何を言いたいか」を考えて考えて、そうするうちに、中間部に入るときは光景がはっきり浮かぶようになった。
光景がはっきり浮かぶのは、「別れの曲」以来だった。そうやって光景が浮かぶようになると、音に魂が入るような気がした。
「言霊」ってあるように、音にも魂が宿ると思う。「オトダマ」。
歌詞なんかない、誰が弾いたって同じ音、じゃない、ひとりひとり、言いたいことは違うはず。ピアノが違っても、技術に無関係で、それは確実にあると思う。
その、「その曲で何が言いたいか」を、いつのまにかわたしも聴きたいと思うようになった。楽譜通りに音符が並んでいるかどうか、ミスがどれだけないか、じゃなくて。
採点マシンなんかに一喜一憂する必要ないんじゃないかと思う。機械が感動に点数なんかつけられるわけないじゃないか、何のために人間に生まれたんだ。
コンクールってのは見に行ったこともないけど、そりゃあうまい人ばかりなんだろうけど、行けば感動するのかもだけど、たぶんこれからも行かないだろう。
前に、おそらく70代であろう女性が本番で、イエスタデイを弾いていた。
初心者用の楽譜なんだろう、手の形とかリズムとか、もうそりゃあ色々あるのかもしれないけど、そんなのどうでもいいくらい、泣きそうになった。きっとこの曲好きなんだろうなあと思った。
どんなにうまくても、何が言いたいか分からない演奏より、そういう演奏のほうが、好きだなあ。
シューベルトのアレグレット、テンポリズムを修正してだいたい音が並ぶようになってもなお、「・・・あれ?・・わたし、この曲で何が言いたいんだっけ?」と考えている。
浮かぶ光景を決める過程真っ最中に、ふと、イエスタデイを思い出した。
わたしのアレグレットは、辛かった記憶ともう一度向き合って、相手も自分も許す曲になりそうだ。
弾きながら泣きそうになる有様。
でもそれでもいいのかな・・・・。