歌詞をつけるようになるまで
ずっと前、ブログ上に演奏動画を公開することは非常にためらわれることでした。
汚い音をさらすだけでなく中年女のバタバタした手元など、いったい誰が見たいだろうか、いや誰も見たいはずがない、そう思ったからです。だから限定記事でだけ出していました。
ところが。
自分が手(だけじゃないけど)を矯正していく過程で、人様のブログに遊びに行き音を聴く際、手元、できれば上半身が少し写っているものの方がありがたい、そう思うようになりました。音だけでは分からないことが分かるからです。
そして、最初はためらいがありましたが、ツェルニーやインベンションの動画、しかも練習過程を段階的に公開するようになりました。
公開した理由は、上記だけではありませんでした。
批判されるのが怖い、仲良しのピアノ友達だけに聴いてほしい、聴いたら褒めてほしい
から、
批判されて当然、だって下手だし、聴いてもらえなくて当たり前、でももしも誰か一人でも聴いてもらえたらラッキー、こんなに下手な演奏を、聴いてもらえるだけでありがたい
に気持ちが変化したからです。
褒めてほしいってねえ・・・・当時を振り返ると恥ずかしくて逃げ出したくなりますが、そう思っていたのです。褒めてほしいっていうのはちょっと違うかな・・・・頑張りを認めてほしい、のほうが正しいような気もしますけど。
同時に、考え方も変わりました。
同じような価値観の人で集まって共感しあいたい、ではなくなったのです。
・・・・何の話かというと。
歌詞を公開することは、最初は動画を公開するぐらいに、ためらうことでした。
でも、思いついてしまった歌詞は、もはやわたしの子供のようなものです。
それを弾くとき、いつも心の中でその歌詞を歌っているのですから。
一番最初に思いついたのは、ショパンの別れの曲でした。
最難関部があまりにも弾けなくて(そりゃそうだ)苦しみながら練習している気持ちがそのまま歌詞になったのです(最難関部だけですよ)。
それから、インベンションの一節など、部分的に浮かぶことが出てきて。
思い付きの歌詞を実際に合唱にした、バッハの平均律の1曲は、とても楽しかったけど、周囲の反応は、「面白い!」と、「ちょっと受け入れられない」という、まっぷたつに分かれました。
その合唱の音源↓
その後、シューマンのアラベスクでも歌詞が浮かぶと、なんと先生から、(歌詞が付いているほうが歌えていたためか)全編に歌詞をつけるように言われました。
多声なので苦労しましたが、おかげで内声やバスを理解して聴こえるようになりました(自分比)。
それからも懲りずに、シューマンのトロイメライ、シューベルトのアレグレット ハ短調でも歌詞を全編につけ、本番でもその歌詞を心の中で歌いながら弾きました。
歌詞をつけるなんて笑われないだろうか、人から笑われるのは嫌だ
から、
笑われたっていい!この曲で伝えたいことがある、だから自分のままで弾こう!
と、気持ちが変化してきましたよ。
ということで、次回の記事は、
ブラームス間奏曲op118-2の歌詞にしようと思います。
歌詞が浮かんだら声に出して歌うでしょ、そりゃ。
「ピアノで歌う」ができないわたしにとって、いい練習になっているといいなあ。
汚い音をさらすだけでなく中年女のバタバタした手元など、いったい誰が見たいだろうか、いや誰も見たいはずがない、そう思ったからです。だから限定記事でだけ出していました。
ところが。
自分が手(だけじゃないけど)を矯正していく過程で、人様のブログに遊びに行き音を聴く際、手元、できれば上半身が少し写っているものの方がありがたい、そう思うようになりました。音だけでは分からないことが分かるからです。
そして、最初はためらいがありましたが、ツェルニーやインベンションの動画、しかも練習過程を段階的に公開するようになりました。
公開した理由は、上記だけではありませんでした。
批判されるのが怖い、仲良しのピアノ友達だけに聴いてほしい、聴いたら褒めてほしい
から、
批判されて当然、だって下手だし、聴いてもらえなくて当たり前、でももしも誰か一人でも聴いてもらえたらラッキー、こんなに下手な演奏を、聴いてもらえるだけでありがたい
に気持ちが変化したからです。
褒めてほしいってねえ・・・・当時を振り返ると恥ずかしくて逃げ出したくなりますが、そう思っていたのです。褒めてほしいっていうのはちょっと違うかな・・・・頑張りを認めてほしい、のほうが正しいような気もしますけど。
同時に、考え方も変わりました。
同じような価値観の人で集まって共感しあいたい、ではなくなったのです。
・・・・何の話かというと。
歌詞を公開することは、最初は動画を公開するぐらいに、ためらうことでした。
でも、思いついてしまった歌詞は、もはやわたしの子供のようなものです。
それを弾くとき、いつも心の中でその歌詞を歌っているのですから。
一番最初に思いついたのは、ショパンの別れの曲でした。
最難関部があまりにも弾けなくて(そりゃそうだ)苦しみながら練習している気持ちがそのまま歌詞になったのです(最難関部だけですよ)。
それから、インベンションの一節など、部分的に浮かぶことが出てきて。
思い付きの歌詞を実際に合唱にした、バッハの平均律の1曲は、とても楽しかったけど、周囲の反応は、「面白い!」と、「ちょっと受け入れられない」という、まっぷたつに分かれました。
その合唱の音源↓
その後、シューマンのアラベスクでも歌詞が浮かぶと、なんと先生から、(歌詞が付いているほうが歌えていたためか)全編に歌詞をつけるように言われました。
多声なので苦労しましたが、おかげで内声やバスを理解して聴こえるようになりました(自分比)。
それからも懲りずに、シューマンのトロイメライ、シューベルトのアレグレット ハ短調でも歌詞を全編につけ、本番でもその歌詞を心の中で歌いながら弾きました。
歌詞をつけるなんて笑われないだろうか、人から笑われるのは嫌だ
から、
笑われたっていい!この曲で伝えたいことがある、だから自分のままで弾こう!
と、気持ちが変化してきましたよ。
ということで、次回の記事は、
ブラームス間奏曲op118-2の歌詞にしようと思います。
歌詞が浮かんだら声に出して歌うでしょ、そりゃ。
「ピアノで歌う」ができないわたしにとって、いい練習になっているといいなあ。
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