ピアノの声に耳を傾けたい
最近、「チョコボールみたいな音」がとても気になっています。
アーモンドをチョコレートで包んであるお菓子ありますよね。まっくろでつやつや。中にアーモンドが丸ごと。
その、でこぼこのない、なめらかにコーティングされてつやつやしたような音が聴こえる時は、ときめくような感じです。
その例えで言うと、前にブラームスの間奏曲を練習してるときに、「汚くなくていいんだけどね。それだとぺしゃーっとした音なんだよね」と先生がわたしの音を真似したとき、アーモンドは丸出しじゃないし、チョコはかかっているけど、一応でこぼこもないけど、準チョコレートみたいな音、でした。
自分ではつやつやしたチョコボールにならないのですけど、誰かの演奏でそれに出会うと嬉しい。単純に、気持ちがいいです。
今より数年前、モーツァルトのソナタk331の1楽章を練習している時、「あ、音ってまあるいんだ」と突然気が付いたみたいな、そんな感じ。
今では、音のしっぽはあると断言できます。単音でペダルがない方が音のしっぽは分かりやすくて、すうっと伸びてしゅっとしぼまるような、飼い猫のきれいなしっぽの時はとっても気持ちがいいです。
打鍵した時に聴こえる鍵盤の底の汚い雑音も、時々ですけど聴こえるようになってきました。
音のきれいな尻尾も、チョコボールも、単純にとても快感です。
どこまでも拍子に乗って、縦がずっとそろって、音が全部自分の耳に入ってくるときの気持ちよさに似ているかも。
そんな風に弾けるときは、とてもゆっくり。
無理やり速く弾くとまるで弾けたような気分にはなるけど、ピアノの気持ちよさを感じないまま学習だけ進むのはとても怖いことなのかも、しれないですね。
それとも、みんな、とっくに感じているのかな?気が付かなかったのはわたしぐらいなのかな?
ピアノの声に耳を傾けて、もっともっと、もっともっと、ピアノの音を聴いていたいです。いや、聴けるようになりたいです。
もしかすると、もっと聴けるようになったら、ときには耳をふさぎたくなる演奏が増えるんでしょうか?
おいしいものを食べないで育ったら何を食べてもおいしいけど、おいしいものをいっぱい食べて育ったら、まずいものでは満足できなくなりますよね。
どっちがいいのかわかりませんけど。それでもやっぱり、ピアノの声に耳を傾けたいなあと、思うのです。
果てない、夢ですね。