夜な夜なひとりで
子供が買ってきた中古のキーボードとこどものためのバイエルでした。
そのことを書いた記事はこちらです↓
こちら
その頃独学で弾いた曲はいくつかあるのですが(おそらく間違いだらけ)・・
1ページ目の途中までしか譜読みをできなくて、断念した曲があります。
それはなんと・・・・
ショパンの「別れの曲」です(;´▽`A
できなくて、当たり前ですよね~~・・・・
当時は(中古で2万の)電子ピアノでした。
それは今もリビングにあります。
ヘッドフォンを買って、
夜な夜な、
ほんとに夜な夜な、
睡眠時間を削って、とりつかれたように、文字通り、1音1音、拾っていったのです。
1ページ目だけで、何か月もかかりました。
あの情熱は、どこからきたんでしょう。
大好きな曲だからとしか、いいようがありません。
4声なんですよね。あの曲。
当時はそんなこと分からない。
旋律の音を歌うとか、そんなこと思いつきもしない。
ピアノで歌うなんてことを知らなかった。
何拍子とかも考えない。
1小節ずつとかそんなレベルじゃない。
ただただ、憧れの曲の音を、出したかった。
縦線で、1音ずつ、まず右手を拾いました。
ド・・・レ・・・ミ・・・・・って、
ほんとに1音ずつ拾いながら。
ドレファソに#がついているのに、つけることもできなくて、
何度も何度も間違いながら。
最初の1小節右手が拾えると、
今度は左手をまた1音ずつ。
音の長さとかはすごく適当だったと思います。
そうして、死ぬほど時間をかけて、両手を合わせてみたときの、感動。
「しびれる」、まさにそんな感じ。
指をどうしたらいいかもわからない。
相当無理な形で音を出していたのでしょう、
指が痛くなりました。
でも、そんなことはどうでもよかった。
「腱鞘炎」なんて言葉、思いつきもしなかった。
指が限界!!と思いながら、
あの、ffの盛り上がりのところまでいったときの気持ち。
poco piu animatoのところも少しだけ手を付けましたが、
さすがに、もうどうにもこうにも無理で、そこで断念しました。
そして別れの曲は、
「いつか弾けるようになりたい」と、
最終目標の曲になりました。
子供の頃わたしにピアノを習わせた母は、
わたしがピアノにとりつかれているのを知ると、
「あんたピアニストにでもなるの」と呆れました。
どう思われても、
誰にも理解されなくても、
夢中でした。
わたしのピアノ好きの原点は、あそこにあるような気がするのです。
たったひとりで、
ド・・・レ・・・ミ・・・・と数えた夜。
ブログなんて思いつきもしなかった頃の話です。