不思議でたまらない
3声ずつ合わせる時は、ふたつの練習を必ずするようにしています。
これは先生からやるように言われたわけではないので、よい方法かどうかはわかりません。でもわたしにはよい感じがします。
ひとつは、テーマの歌詞だけを延々と声に出して歌っていくこと。
もうひとつは、アルトの歌詞だけを最初から最後まで声に出して歌うこと。
歌詞をつけているので、そのどちらも歌詞で歌うのですが・・・
ひとつめの、テーマだけ歌う時に、不思議だなあ、と思っていることがあります。
テーマだけ拾う時は、例えば7小節の2音目のレからのバスは、「ピアノの言葉をピアノの言葉をピアノの言葉をピアノの言葉をわたし聴きたいの」と、9小節途中まで歌うのですが・・(写真↓)

最後の最後になってから、歌詞が変わるのです。今までと違う歌詞になる。
20小節です。ソプラノがファミレドで「わたしも」と言ってから、アルトのシラソファソファミファレミファで「ピアノの声を聴きたいの」と言うのです(写真↓)。

なんだかすごくないですか?不思議です。
アルトは、ともすると一番目立たないパート。でも、アルトがいるからこそこの曲は成り立つのです。アルトなしではこの得も言われぬ響きは作られません。目立たない立場のアルトにわたしは個人的にひどく共鳴してしまうのですが・・・その一番好きなアルトが、最後の最後になって主役になるのです!
次の不思議。そうして3人仲良く、和音となって曲が終わるのですが・・・その和音は、21小節のドミドです。
アルトだけが、ミなんです。ソプラノとバスはド。この曲はハ長調。主和音はドミソ。でも、ソがないのです。ソがないと響きはだいぶ変わります。
アルトが主役となって終わるハ長調の曲と言えば、シューマンのアラベスクがありました。
気になってみてみると、最後の和音はドミソです(写真↓)。

ド、ミ、ソ・・とそれぞれ音を出していくと、それぞれ性格が違うような気がします。
なぜ、ドとミだけなんだろう??
気になってインベンションを見てみると、ソプラノもバスも主音だけで終わる曲が多い中、1番だけはドミソです!これも不思議。ほかのシンフォニアは・・? 見てみると、3和音で終わる曲は1曲もありませんでした。
金子みすづ。
この人の詩にはじめて出会ったとき、立ち読みしながら思わず本屋さんで泣きました。
彼女の詩の「ふしぎ」を思い出します。
わたしはふしぎでたまらない、
黒い雲からふる雨が、
銀にひかっていることが。
わたしはふしぎでたまらない、
青いくわのはたべている、
かいこが白くなることが。
わたしはふしぎでたまらない、
だれもいじらぬ夕顔が、
ひとりでぱらりと開くのが。
わたしはふしぎでたまらない、
たれにきいてもわらってて、
あたりまえだ、ということが。
不思議だなあ。
不思議だなあ・・・。