本当のことを言ってくれる人の大切さ
そのレッスンではとてもはっきり言われるので、ちょっぴりはらはらしながら見ていました。
なぜはらはらしたかというと、ブロ友さんは大丈夫かな?と心配したからでした(杞憂に終わりましたが)。
わたしの場合ははっきり言われても大丈夫です。
ただしそれは、信頼関係があってこそです。
今から書くことは個人的な考えなのでほかの人は違うかもしれません。
わたしのその信頼の基準は何かというと、
1、人柄がよく思いやりがあること
2、知識と技術があること
3、音楽に誠実であること
4、その人の演奏が好きなこと
です。
まず2の知識と技術があることですが、それがないと人に教えるのは厳しいように感じます。
でもそれがあったとしても、優しさがなく、ただただダメだしをされ一方的に説明され、鼻で笑うような空気感や見下してる感じが伝わると、わたしの場合はですが無理です。
褒めてほしいとは思いますが、ただ褒めればいいってもんでもないです。
ちゃんとその人を見ている人なら、何を頑張っているのか、どんなところが長所なのか、分かるはずです。
それらをきちんとみていて、さらに長期的な温かい視点を持っているかどうかは、教わる側はちゃんと分かるのです。
たとえ「褒め言葉」が少なくても、たとえ1回のレッスンで一度も褒められなくても、かなり厳しいことを言われても、分かるのです。
もっというと、その「温かさ」が伝わるからこそ、厳しくても、レッスン中に一瞬泣きそうになっても、頑張ろうと思えるのです。
レッスンするのですから、厳しいことも言わなくちゃあなりません。
なので1の人柄がよく思いやりがあること、これはもう大前提です。
3の音楽に誠実であることですが、これは意外と難しいように感じます。
先生としてのプライド、立場、自分の主義と趣向、これらを優先することが多い方は、わたしの場合ですがちょっと厳しいです。
音楽には決まりごとはたくさんありますが、絶対的な正解はないはずで、弾き方だって、わたしの子供時代と現代ではまるっきり違っています。つまり、時代が変われば正解は変化するんですよね。
自分と違う音楽をしたい生徒、驚くことをやらかす生徒などなど、色々なタイプがあっても、「ワタシの主義」ではなく、「音楽としてどうか」という判断基準を常に優先させ、「音楽としてどうか」の範囲が柔軟で広い方がよいです。もちろん、間違っているときははっきり言ってくれることは必要です。
また、音楽に誠実であれば、付け焼刃の演奏や、「どうだ俺うまいだろ?」的な演奏、弾けてるけど空っぽの演奏にはだめを出すはずです。こういうことはとても大切ですよね。
さらに、ピアノは非常に難しくある程度弾けるようになるには年数が必要な楽器です。色々なことをすっ飛ばしてうまくなることはできません。だから「頑張った先にある楽しさ」「音楽の喜び」などを教えるには根気や信念(つまり誠実さ)が必要だと予想します。上記の柔軟さと矛盾するようですが、それを生徒に伝えることができれば、その喜びを生徒が体験すれば、それは練習の原動力になると思うのです。
4のその人の演奏が好きなことは、単純です。好きか嫌いか、感覚です。理屈じゃないです。
でも案外一番大事なことはここかもしれないなあと思っていたりします。先生も人間ですから、長く通ううちには欠点も見えてきます。人柄がよいことは大前提で通っていますので(人柄に問題がある人は論外です)、いい人だとしても、やっぱり長く通うにはその人の音楽が好きなことが「キモ」になるように感じます。
これは、友達でも夫婦でも同様で、欠点はあるけれど理屈じゃなく「好き」って、大事ですよね。
長々と書きましが、つまるところ、「有名音大卒の先生に習ってます」とかのラベルは自分にはあまり重要ではありません。「夫がエリート」で「子供が優秀」であることがあまり重要ではないように。
ここまでは常々考えていることなのですが、昨日のレッスンをみていて新たに感じたことがあったので、ちょっと書こうと思います(やっと本題だよ)。
教わる側のブロともさんが非常に素直に反応していたのです。
言われたことに反発もせず「そのまま」受け止め、分からないことはどんどん質問し、すぐには直らないこともあるけれど、演奏が変わる様子を目の当たりにしました。
そして帰りに、「楽しかった、すごくよかった」と語る笑顔に、教わる側にも必要な素質があるなあと思ったのでした。
そして、わたしの演奏にも素直な感想を伝えてくれました。「ごめんね」と言っていたけど、わたしはちっとも嫌じゃなく、むしろありがたかった。彼女の温かさがちゃんと分かるからです。
わたしにはピアノの先生で大切なブロともさんがいました。過去形なのはお亡くなりになってしまったからです。
お世辞のない方で、演奏上のアドバイスをわたしにコメントではっきり書いてくれました。
いなくなってしまったとき、ああもうわたしには、はっきり言ってくれる人は先生と昨日のお宅の家主さん達しかいなくなっちゃったなあ、と思いました。
「この演奏はわたしはこう思う」「あなたの演奏こう思った」など正直に言い合えること、
それってもしかするととても貴重な「音楽の仲間」じゃないかな・・・?
仲間なんて変かもしれないです。先生にはわたしは単なる生徒で導いてもらう立場です。
家主さん達とも世間一般で言う友達じゃありません。
でも、ともに、音楽を、ピアノを、愛しています。
大切なブロ友さんがいなくなった寂しさに、今でも心が沈んでしまいます。思い出しては悲しくなります。
でも、その彼女から頂いた温かいものは、わたしの胸の中に今でもあって、それはこれから先ピアノを弾くうえで、きっと一生わたしを支えてくれると思います。
なので、色々総合して考えてみると、本当のことを言ってくれる人は自分にとってとても貴重な財産で仲間なんだろうなあと思いました。
いつもの、たわいもない、独り言です。
読んでくださった方、ありがとうございました。