ピアノ友達とブログ
コメントをいただくとやっぱり嬉しいので、
以前は、できるだけ読者になっている方のブログにはコメントをするようにしていましたし、
記事を書く時は、今より読み手のことを意識していました。
その頃と今とでは、ブログに対する意識はちょっと違います。
そもそもブログを始めたきっかけが「ピアノ友達がほしい」だったのですが、
今は「ピアノのことを書きたい」になっています。
え?
あんまり変わらないじゃないかって?(笑)
いえいえ、ちょっと違うんですよ。
前もそういう面はありましたが、
今のほうがより、「垂れ流しの独り言」要素がアップしていますし、
「コメントしたきゃするし・・・できないときはできないし・・・こなくてもまったく気にしないけど、くれば嬉しい」、
「どう思われてもいいや・・・だけど、文章を発信する以上は、人を不快にさせないようにしたいな」、
そんな感じ?(どんなだ)
ピアノの独り言を書くと、
誰かが読んでくれるわけですよね。
書く内容は、ピアノをやってない人からしたらほんとどうでもいいことで(笑)
日常でそんな話できないから、読んでくれるひとがいること、音を聴いてくれる人がいることが、やっぱり嬉しい。
前述した「ピアノ友達」は、できればラッキー、できなくてもいい、そんな感じになりました。
だいたい、「ピアノ友達」ってなんなんでしょうね?
やっぱり、定期的にお会いして一緒にピアノを弾く関係性が「ピアノ友達」なんでしょうか?
だとすると、文字だけの「ピアノのぶろともさん」というのは、現実の友達とは違いますよね。
色々なピアノの形や考えがあって、
弾く人の背景も人格もいろいろ。
「ママ友さん」と、ちょーーーっと似ているような気がするときもあります。
子供を通じて仲良くなって、
そうして子供が大きくなって、
ママだけの付き合いになる人もいれば、ご縁がなくなるひともいる。
結局、気が合うこと、その人を好きなことが大切なのですよね。
「こども」や「ピアノ」じゃなくて。
これに気が付くと、なんだかびっくりします。
文字ではやっぱり分からないこともあるし、
ちょっと会っただけでは分からない。
職場の人だって、
最初の印象と、数か月一緒に働いてからの印象って案外違うもの。
わたし・・現実の友達と、しょっちゅう連絡を取り合いません。
しばらくとってなくても、安心感があります。
「同じ釜のメシを食った仲間」みたいな?
その人となりをよく知っているから?
よいところも悪いところもお互いに知っているから?
アクセス数がアップしたといって喜んでいた昔と今では、違ってしまいました。
「なんだこいつばかじゃねーの」「へたくそ」とか思いながら読む人だっているかもしれない。
でもそんなコメントはしませんよね、普通に(笑)
現実の関係性なら、
相手が自分をどう思っているか、
言葉がなくても、
な~~~んとなく空気で感じることってあります。
そうした空気を感じることのできない、
悪いところも見えないブログっていうのは、
やっぱりある程度、心の距離を置いたほうがいいんだと、
色々あって、思うようになりました。
それと同時に・・・
こんな駄文を読んでくださるひとがいること、
つたない音を聴いてくださるひとがいることに、
やっぱり感謝しているのです。