今日が本番前の最後のお休みです。
録画できるのは最後のチャンスなので、撮ってみました。
ノーミスは無理でしたが、12月5日の本番当日は本番対策の練習にシフトしたいので(こう書くと何やらかっこいいけど、実際は片手で弾いたり超~~ゆっくり両手で弾いたり、家中を走り回ってハアハアしながら弾いたりとかそういうこと・・・その日は前日も次の日も仕事だから家事もあるし(^_^;))、
ここでこの曲の動画を公開することにしました。←※後日限定公開に変更しました。
自分には高嶺の花だったこの曲、練習を開始したのが昨年の年末です。技術的にも表現的にも自分には本当に難しかったです。
約1年練習してここまでか・・・とちょっと落ち込むけど、練習してできるようになったこともあったし、先生は「3年も4年も練習してる人もいるんだよ」と言うので、1年なんてきっとまだまだなんでしょう。
この曲で何を言いたいんだろう、わたしはどうしたいんだろう、何をお話ししたいんだろう、何を伝えたいんだろう。
何度も何度も考えました。
そしたら、ある日突然、この曲のプロの演奏を聴いているときに、とある患者さんとその旦那様が浮かびました。
訪問看護は、自宅でのお看取りもやるんです。そこもそうでした。
本当に愛しあっているのが分かりました。訪問して色々なことをやっているのに、終末段階だったのに、なんだか分からないけど、本当に、すごくきれいだったんです。
それ以来、ある部分を弾くたびにそのご夫婦が浮かぶようになりました。
それはここ、168小節です。
だからここは天国みたいに弾こうって思いました(実際はそんな風に弾けないけど)。美しい、きれいなものです。この世で一番大切なもの、愛と命です。
さらに、この曲は元々は
こんなイメージを持っていたんですけど、
途中から4年前に死んだ文鳥が浮かぶようになりました。
冒頭のソはかごの中で死んでいる文鳥を見つけたときの音です。
41小節から(写真)は、まだひなだった文鳥とまだ幼かった子供達との、かけがえのない時間です。
きらきらきらきらした、もう2度と手に入らない思い出です。
今日練習していたら、別の患者さんが言っていたこんな言葉も、突然思い出しました。
「きっとお父さんだね」
その方は車酔いがひどくて、遠くの病院へ行く時本当に苦しい時間だったそうなんですが、
その、いつも連れて行ってくれたお父さん(旦那様)がお亡くなりになってから、ピタッと車酔いがなくなったという話をわたしにして、最後にそう言ったのです。
わたしも「ああ、きっとそうですね」と答えました。
大切な人は、もしかすると、死んでからも守ってくれることは、本当にあるのかもしれません。
この世のものとは思えない音がたくさん出てくる、薄い紙1枚隔てた向こう側には、狂気とかあの世とかがあるような、そしてそれが薄い紙だから透けて見えるような、それでいてこんなにも美しいこの曲。
死んでもなお、そばにいたり、守ってくれたりするのかもしれないことを、一番大切なものは愛と命なんだということを、お話ししようと、わたしは決めました(しつこいけど、そのようには弾けていません)。
家族みんなでかわいがった文鳥は、もう2度と呼んでも飛んでこないし、手の中で甘えたりしないし、可愛い声で鳴いたりもしません。
でも、文鳥も、もしかすると可愛い黒い目で、こっちを見て、そばにいて、守ってくれているのかもしれません。
そして、わたしも含め、残された方達がみんなみんな、寂しくないようにと、願うのです。
スポンサーサイト