一度しかないから
ちょこちょこ読んでいて、また印象に残る文章がありました。
おそらくこの文章は、自分が好きな人々が言いたいことを、多少なりとも代弁しているのではないか、と思いました。
Q2.コンクールに入賞できませんでした。理由が全く分かりません。テンポを揺らし過ぎたのでしょうか。ごく普通に普通に弾いていた人が入賞しました。
回答を表示
演奏を聴いていない以上、個別のことを言うことは出来ません。ただ一般的に日本のピアノ界のコンクールの審査について私が思っていることを記すことにします。
端的に言えばまだまだ日本のピアノ界の歴史は浅い、それ故の歪みが審査にも生じる可能性が強い、ということでしょうか。
私と同年代もしくはそれより上の世代において、男女平等とは口先だけのことでした。そして音楽は伝統的儒教文化においては「歌舞音曲の類」とくくられるもので、男子一生の仕事に有らざるものとされていました。それゆえに能力のある女性にとって音楽は男性をはばかることなく自分の能力をフルに発揮できる職場でした。
ところで4,50年前は日本の音楽教育界はそれこそ3拍子を三角形に指揮する事を平気で教える程度のレベルの低いものであり、そしてその程度の教師から見て頭が良くてピアノを習っている女生徒達は皆素晴らしい才能の持ち主に見えたことは間違い有りません。そういう人たちが今の日本の音楽界の頂点に大体いるわけです。
問題はそういう人たちが、音楽を本当に好きだったのか、ということです。ピアノは上手だ、才能があると言われた、事実有るのかもしれない、しかし音楽を好きだったのかどうか、女性の社会進出が広く認められていたのならともかく、そうでない時代において、「まあ才能があると言われるんだから、他にいい仕事も余りなさそうだし、この方向にでも進もうか」と消極的に音楽を自分の一生の仕事にした人が相当数いるのではなかろうかと思われます。
音楽を楽しむことを知らずに、それが好きでもないのに、それを職業にしてしまった方は、音楽の根本にあるものが結局眼に見えない、あるいは感じることが出来ないのです。
私の師は関西の名物爺さんと呼ばれた方でしたが、あるコンクールでサンサーンスのエチュードを完璧に弾いた子どもに50点と採点したそうです。その生徒の先生(も審査員)から驚きと抗議の声があがり、「ミスなしにまあよう弾いたから50点やったんや、普通やったら30点、音楽は何にもありまへんがな」
いかに指が良く回り、いかにミスがなくとも、音楽というものはそういうものとは無関係なところに厳然としてあります。これは有名なエピソードですが、さる国際コンクールで日本人出場者が、最終予選でブラームスのパガニーニ変奏曲を完璧に弾いてのけて審査員一同唖然としたそうです。しかし彼は落ちました。ある審査員曰く「彼は完璧だった、しかし音楽ではなかった」
審査は人間のするものですから、当然審査員の主観が入ります。そしてけしからぬ人間が世間に時々いるように、審査員にもけしからぬ人間が時々いるのもまあ当たり前のことです。私の知っているさるピアノの先生は、「自分の生徒にええ点数付けるのは、それは人間として当たり前のことや」と公言していました(わたしはそういう人は審査というものをすべきではないと考える人間ですが)。ただそういうのは、ここでは考えないことにします。
良心的な人間ほど、審査を客観的にしたいと思います。ところが音楽とは極めて主観的なものです。このギャップをどうするか。日本の先生は、どちらかといえば良心的な人が多いだけに、そして自分の中の「音楽」というものに確固たる自信を持っていないがゆえに、よけいに客観的なものだけで審査をしようとします。すなわちミスがないかどうか、一般的解釈と異なった演奏をしていないかどうか、そういったことです。
外国の先生には先ほどのギャップというものがおそらくありません。「音楽とは主観的なもの」であるのは常識であり、そして自分の中に何百年の伝統の上に立った「音楽」というものを見る目が確かにある、ということは自明のことだからです。もちろん個人によってその思う「音楽」に微妙な差はあるでしょう。だからこそ複数の審査員が必要とされます。しかし「音楽」そのものを感じない審査員など彼らにはおそらく想像の埒外なのです。
近年海外留学が当たり前となり、本物の「音楽」を解する人たちがどんどん増えています。日本の今の没個性的な状況にもすこしずつ変化が見られてはいるような気がします。ただまだまだ国内のコンクールにおいては、あまり個性的な解釈は禁物であることは間違い有りません(あまりにも個性的ですと国際コンクールでもダメです)。
「ミスの数を数えるなんてばからしい。本当にいい音楽はそういうものではない」
大好きだった、音楽の世界で偉い地位にいた故ブロともさんは、笑顔でわたしにそう言いました。
「プロだからってうまいとは限らない。アマチュアでもいい演奏をする人はいっぱいいる」
ご一緒した時間は、たった数時間です。
でもわたしは受け取りました。
受け取ったものは、形にはなりません。
たぶん、なんの得にもならないでしょう。
仕事でもそうです。
損得なら、コンクールウケする方がいいのです。
でも、受け取りました。
しかも両手でしっかりと。
音楽の根底にあるものを、審査員が拾えないかもしれないのが実情なら、
自分がいいと思う人の演奏や言葉を、
誰がどう思おうとも、
人の評価なんてそもそもどうでもいいのだから、
喜んでいたらいいのじゃないのかな。
それって、ピアノに限らず、そうじゃないのかな。
一度しかない人生だもの。
スポンサーサイト