4 Comments
ねこねここねここたつでねてる
こんにちは。
> 正月には神社に行きクリスマスにケーキを食べ教会で結婚式をし葬式にはお坊さんが来る純日本人のわたしにはちょっとピンとこなかった「あわれむ」という概念。
そうなのです、そんな日本で宗教的なことといえば「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるぞ~!」みたいな怖いことばかり言われて育った日本人の私には宗教、とくに一神教のことは難しくてよくわかりません。それに「憐れむ」の感覚も、「神様、私をかわいそうだと思ってください」では違いますよね、きっと。 どんな宗教も(もちろん一部カルトは除く)人間が魂を高めるというか、善い人になるというか、とにかく自分を高めるために天に「神」という絶対者を置いて、その高みに上っていこうという向上心から生まれたと思いたいです。相反する宗教の人たちも、もともとはみんな善い行いをする善い人になりたいんだって。人間の形をしたへび、私の中にもそんな要素があり、私はへびになったり天使になったりします。天使なんて図々しいですがw
ペーター・シュライヤー、生で聴いたことがあります。一階席の結構いい場所にいたのに眉間に集中するような発声法でピーンと張った弦のような声が上にのぼってしまって、1階席にはあまり響かなかったのが印象的でした。この動画の彼は体も声も昔より太くなったように思います。
> 憐みとはそれを受ける理由も資格も持っていない者が、ただただ一方的に受ける恵み
毎週日曜の朝に礼拝に行くなんて無理! と言った私にカトリック信者の友人が、キリスト教は「イエス様はいつも見ていてくださる、愛してくださる」という教えなのだと言っていました。確かに罪を犯してもひとりぼっちでも見守ってくださるだけでがんばれるのかも知れませんね。仏さまのお慈悲とか、日本の神様のご加護も同じようなものでしょうか?
bonbon
No title
同じような事を考えていました(^^;)Bach好きなので宗教は切り離せないと思い一度勉強したことがあります。カトリック、プロテスタント(Bachはこちらだったような)でもかなり教義に隔たりがあって、日本の万の神様で育った私は最近のカトリックの教義なら理解できそうでした(カトリックは他の宗教にも優しいので)。とどのつまり、『愛』なんだな、と思っています。新約聖書に『新しい掟はこの一つ。あなた方は互いに愛し合いなさい。』とあって、教会音楽に魅力を感じるのはここにあるのかも、と感じています。『あわれみ』とは、不完全な私たちでも一心に許し包んでくれる温かいまなざしのように感じています。音楽は宗教を超えると信じています🎵
ねこぴあの
ねここたつさんへ
>ペーター・シュライヤー、生で聴いたことがあります。一階席の結構いい場所にいたのに眉間に集中するような発声法でピーンと張った弦のような声が上にのぼってしまって、1階席にはあまり響かなかったのが印象的でした。この動画の彼は体も声も昔より太くなったように思います。
ええ~~!!まさかの!!!
唯一カメラ目線の彼はインパクト大だと思っていました。
1階席にはあまり響かなかったんですか??
身体も声も、そうなんですね。
声は昔と同じなのかな。
ひとりぼっちでも見守ってくださる、それはとても大きな安心感でしょうね。
孤独に対する恐怖は、ときに人を間違った方向にいざなってしまうと思います。
高い次元に行きたいですね。
でもやっぱりわたしは神様じゃなくて人間一人一人に上に上がる力があると思ってしまうんですよ。
何度も何度も、患者さん達に、力をもらってきました。
わたしを救ってくれるのは神様じゃないと思っているのに、どうしてだか、あわれみが好きなんです。
ねこぴあの
bonbonさんへ
bonbonさんも同じようなことを考えていましたか?
バッハが好きだと宗教は切り離せない、それはわたしも感じます。
教会音楽が好きな根源は愛なんですね。
暖かいまなざしかあ~
音楽は宗教を超えるものであってほしいです^^
バッハを聞くとなぜか原罪という言葉が浮かぶと、ずっと前から思っていました。
仕事柄、人間の負の面をいやというほど見ますので、そういうものだと思っていて、それをひっくるめて人が好きで、そして一人一人に神様がいると思っているのですが、バッハさんにそんなこと言ったらなんて言われるかな~
「祈りなさい、そして練習しなさい」ですかね?(笑)