ハノンの19番は、
右手の親指がすっとスライドせずに微妙に上に上がっている指摘を受け、改善を試みていました。
こう書くと簡単なようですが、
ものすごくゆっくりの片手のみの打鍵から、凝視しながら修正するのは地味な作業でした。
やっとこ両手にするとどうしても(本来は苦手な)左手ばかり見てしまう。
楽譜を見ながらでは手元の確認が出来ない、見るのは右、となると、
結局は、両手が勝手に動くぐらいにしないとダメでした。
それでレッスンに行き、今度はもう何も言われないだろうと思いきや、
右手の手首が下がってる指摘。
こういうのってほんと、言われないと分からないです。
自分では弾けてるつもりなんですから・・・レッスンの意義はこういうところにあるんですよね。
そうしてやっと、1部の最後の曲、20番の練習を昨日から始めました。
1番からずっと和音がなかったためか、最後のこの和音で不覚にもジーンとしてしまう。
左手のほうが手が開くはずなのに、左手が難しい。今までやったことのない動き。
地味~~に練習していたら、
色々なことが脳裏をよぎりました。
そうか、もしかするとあれはこういうことだったのかも・・。
あの時こう言っていたけど、あれってきっと・・。
あんなに過剰に反応することはなかったのに、バカだったなあ・・。
親切な皮を被った、でもわたしを下に見ている人を、見抜けなかった。
ハノン、スケールとアルペジオ以外は、こんなの本当にやる意味あるの?と思った。
釈然としなくてもそれでもやっていくと、やっぱり効果があるのが分かる。
もっとちゃんと、人を見る目を持とう。
自分を信じよう。
自分の心の声に耳を傾けよう。
自分にとって重要じゃない人がわたしをどう評価したってどうでもいいこと。
後悔すること、やり直したいことはあるけれど、過去は直せない。
一足飛びに成長することも出来ない。
でも、地味に努力を続ければ、この先はきっと変わる。
ピアノだって、自分が大切な人の言葉を信じて練習を続けていたら成長した。
ならきっと人生もそうだ。
もう54歳。
いや違う、まだ54歳。
人生これから。
気がついたのだからきっとよくなる!
ハノンを練習しながら、そんなことを考えていました。
スポンサーサイト