劣等生じゃないよ!
おめでとうございます!
地味な教本を続けるって、なかなかできることではないと思います。
それが例えばブルグミュラーとかインベンションのような教本ならともかく、ツェルニーとかになると、発表会に出せるような曲でもなく、それにかける時間というのは、本当に表に出ない努力ですよね。
わあ~~~よかったなあ~~~~と嬉しくなってコメントしてから、ふと、もしも自分が子供のときに、こんな風に誰かひとりでも、おめでとうって言ってくれる人がいたらどうだったんだろう?と思いました。
わたしは幼稚園の年中で習い始めたバイエルを、たぶん小学校の3年生までやりました。
友達はどんどん次の教本に進んでいくので、自分の進度が遅れていることは、子供ながらなんとなく理解していました。
当時のわたしは、劣等感でいっぱいで、ピアノも然り。
なにをやらせてもぱっとしない、そんな子供時代でしたから、親からほめられることはほぼ皆無でした。
後になってから、親に不満が募ったこともありましたが、今ではそう思わないんですよ。
色々あって、実務は頑張るけどほめることが下手な人っているんだなあって理解したからです。
ピアノにもクラシックにも興味のない母も、頑張っていました。
幼稚園の頃は車で教室まで送り迎えしてくれていたし、
先生が卒業された音大の演奏会に、子供たちを連れて行ったこともあるらしいです、わたしはまったく覚えてないですけどね~。
一緒に始めたわたしの姉妹は、わたしよりもかなり早くピアノをやめてしましました。
家族は誰も関心のないピアノをわたしはひとりで続けていました。自転車に乗って通いました。
ほめないのは親だけではなく、先生もそうでした(当時はそんな先生多かったと思います)。
楽しくもないピアノを、「バイエルだけは終わらせよう」と決めたのは、どうしてだったのか・・・。
「バイエルが終わったらやめたい」と親に言うと、「いいんじゃない?」だかなんだか言われただけ。
どのタイミングでそれを先生に伝えたかも覚えてないです。
バイエルの最後の106番のレッスンがおわったとき、先生が何ていったかなんて、ほとんど覚えてないです。
でもひとりで自転車に乗って帰りながら、「ああ終わった・・・これでもうピアノを弾かなくて済む」って、思ったのを覚えています。
106番はバイエルの中でもかなりつまらない曲で、少々の感傷も吹き飛ぶような、そんな感じでした。
帰宅してから、家族からも何も言われなかったし、先生からもおめでとうなんて一言もなかったと思います。
今ならね、わたしは自分に言えますよ。
だから、当時は自分に言えなかった、子供のころの自分に、この場をお借りして、伝えようと思います。
「途中からひとりになっても、風の日も雨の日も、よく続きました。
あなたは、他の友達より進みは遅かったかもしれない、でも練習しなかったからだし、進み方って、先生によってまるで違うのだから、決してあなたが劣等生なわけじゃない。
ピアノだけじゃない、他のことも同じだよ。
何をやらせてもできない子、じゃないんだよ。
たまたま置かれた環境で、出来る子と比べられてしまったかもしれないけど、あなたは努力できる子なんだよ。
器用な子と比べて、頑張ってもできないって思うかもしれないけど、頑張り続けることができることは、すごいことなんだよ。
きっともっと練習したら、あなたはもっとうまくなったでしょう。
やめないでよく頑張ったね、バイエル卒業、おめでとう!」
ああ、書いていて泣いてしまいました。
今もわたしは、他の方達と比べてやっぱり進度が遅いです。
いつ終わるのか見当もつかないけど、いつかツェルニー30番とインベンションが終わったら、自分をたくさんほめてあげよう。
今ならできそうな気がするのです。