人生の終わりに
聴いていたら、やっぱり記事にしよう、と思いました。
つい先日、とある研修を受け、人生の終末期について思いをはせていました。
自宅で死にたいのはやまやまだけど、理想とするピンピンころりは難しい場合がほとんどなので、病院なり、老人施設なり、どこかにお世話になるかもしれない。
はたと、考えました。
・・・・・ピアノはないだろうな・・・・・・。
万が一弾ける元気があって弾けたとしても時間には著しく制限があるだろう。
ピアノがある老人ホームってないのかな・・・・。
そんなことをとりとめもなく考えていた矢先、あろうことか葬儀に参列することに。
故人は、大恩がある、音楽をこよなく愛する人でした。
急なことでした。
葬儀では、故人の音楽仲間が、バックミュージックをセレクトしました。
葬儀自体はいたって普通の形ですが、普通と違っていたのは、合間のバックミュージックがそれらの曲で、弔辞を述べる方いずれの方からも音楽の話が出ていたこと、そして、音楽仲間の参列の数がびっくりするほど多数だったこと。
大きな大きな出来事です。
お化粧がはげるほど泣きましたし、周りももちろんそうでした。
胸中は複雑で、とても文章にできるものではありません。
でも今回のことをきっかけにして、子供には自分の終末期と葬儀への希望を、改めてはっきりと伝えることができました。
入院したら、延命治療は一切やらなくてよい
終末期にもしも意識がないように見えても、最後までピアノ曲をCDか何かで流してほしい
葬儀には菊を飾らないでほしい
葬儀ではショパンの別れの曲を生演奏してほしい
バックミュージックはピアノ曲にしてほしい
生演奏は、数年前に、ピアノが上手な子供の友達に頼んであります。
ピアノが聴けたら、それでいいのです。花なんかなくたっていい。
それらを、子供たちは聞いてくれましたが、「ママはわたしたちよりピアノがあればいいんだね」とちゃかしました。
もちろんそんなことはありませんが、子供にはできるだけ迷惑をかけたくないとは思います。
どこまでやってくれるかは分かりませんが、母親がピアノ病なことは分かっているので、これらのどれか一部でもかなうかもしれません。
自分が死んだら、いったい誰が葬儀にくるでしょう?
定年していなければ会社のひとはきてくれるでしょう。
定年後は数少ない友人と家族と近所の人だけで、相当こじんまりしたものになるでしょう。
一応、ごく一般的な仏教徒なので、お坊さんがきてお経を読んでくれて、お墓に入るのでしょうけど、
ピアノ曲を最後まで聴きたいなあ、と思うのです。
弾けるうちに、ピアノを弾きたいなあと、思うのです。
きっとこれからもやりたかったであろう、音楽をこよなく愛していた故人のご冥福を、心からお祈りします。