ハンガリー舞曲ってなあに?
ブラームスのハンガリー舞曲5番(連弾プリモ)の練習をしています。
なんと今、ツェルニーとインベンションと合わせて、3曲同時進行なのです(すごく大変・・・・)。
なので、今月下旬に人前でベトソナ1番1楽章を弾く予定なのですが、そっちがおざなりに・・・おざなりというか、全然練習してない・・・・あわわわ・・・・。
アホなわたしは、「舞曲」を、「まいきょく」と読むのか「ぶきょく」と読むのか最初は分かりませんでした。
正解は「ぶきょく」です。知らなかったそこのあなた、わたしのように恥をかかずにすみましたね(えっわたしだけ?)。
ハンガリー舞曲って、いったいどういう意味?
ていうかブラームスってどこの国の人?(弾いたことないし・・・)
そんな初歩的なことが分からないわたしは、早速ネットで調べました。
ハンガリー舞曲について
ブラームスは1850年代の前半に、エドゥアルト・レメーニの伴奏者としてドイツの各地で演奏旅行を行い、その時にレメーニからジプシー音楽(ロマの民族音楽)を教えられて魅了された。それ以来ブラームスはそれをハンガリーの民族舞曲と信じて採譜を続け、1867年に出版社のジムロックに最初の6曲を送って拒否されている。結局それらを含む第1、2集が1869年に出版されると大好評となり、1880年に第3、4集が刊行された。
《ハンガリー舞曲集》に作品番号は付いていない。これが自作ではなく、伝統音楽の編曲にすぎないことをブラームスが慮ってのことであった(とはいえ、第11曲、第14曲、第16曲の主題は、完全にブラームスの創作であったらしい)。のちにレメーニは《ハンガリー舞曲集》の成功を知ると、これが盗作であるとして、ブラームスを相手に訴訟に持ち込んだ。結果はブラームスが「作曲」ではなく「編曲」としておいたことが幸いして、ブラームスが勝利した。
ブラームスは自分の《ハンガリー舞曲集》の成功に自信を得て、アントニン・ドヴォルザークに《スラヴ舞曲集》を作曲して収益を得るように助言している。もっともドヴォルザークは編曲ではなく、民族舞曲の性格と特徴を取り入れ、自作の主題によって曲集をまとめ上げた。なおドヴォルザークは、《ハンガリー舞曲 第4集》を管弦楽用に編曲している。
ブラームスについて
ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms, 1833年5月7日 - 1897年4月3日)は、19世紀ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者である。J.S.バッハ(Bach)、ベートーヴェン(Beethoven)と共に、ドイツ音楽における「三大B」とも称される。ハンブルクに生まれ、ウィーンに没する。作風はおおむねロマン派音楽の範疇に属するが、古典主義的な形式美を尊重する傾向も強い。
一部には、ブラームスをしてベートーヴェンの後継者ととらえる人もおり、指揮者のハンス・フォン・ビューローは彼の交響曲第1番を「ベートーヴェンの交響曲第10番」と評した。
ふむふむ・・・・・
つまり、偉大なドイツ人音楽家のブラームスが、ジプシー音楽をちゃんとしたピアノ曲にしたんですね(ざっくりすぎるだろう)。
ともかく、5番の練習は、やっとこ譜読みが終わったかな??と思って録音してみたら、全然ダメでした。
まずはメトロノームに合わせないと・・・・・そう思ってやり直し、楽譜と照らし合わせてみると、やっぱり全然ダメでした。
左手のアルペジオは手がギリギリすぎて、5番の指は離れてしまいます。

でもこのアルペジオ、さらっと弾かなくちゃいけないらしい・・・・。
たった2ページの曲ですが、すごく速い曲です・・・・・今は繰り返しを省いても4分ぐらいかかってしまいます・・・弾けるようになる日はくるんでしょうか・・・・。
なんと今、ツェルニーとインベンションと合わせて、3曲同時進行なのです(すごく大変・・・・)。
なので、今月下旬に人前でベトソナ1番1楽章を弾く予定なのですが、そっちがおざなりに・・・おざなりというか、全然練習してない・・・・あわわわ・・・・。
アホなわたしは、「舞曲」を、「まいきょく」と読むのか「ぶきょく」と読むのか最初は分かりませんでした。
正解は「ぶきょく」です。知らなかったそこのあなた、わたしのように恥をかかずにすみましたね(えっわたしだけ?)。
ハンガリー舞曲って、いったいどういう意味?
ていうかブラームスってどこの国の人?(弾いたことないし・・・)
そんな初歩的なことが分からないわたしは、早速ネットで調べました。
ハンガリー舞曲について
ブラームスは1850年代の前半に、エドゥアルト・レメーニの伴奏者としてドイツの各地で演奏旅行を行い、その時にレメーニからジプシー音楽(ロマの民族音楽)を教えられて魅了された。それ以来ブラームスはそれをハンガリーの民族舞曲と信じて採譜を続け、1867年に出版社のジムロックに最初の6曲を送って拒否されている。結局それらを含む第1、2集が1869年に出版されると大好評となり、1880年に第3、4集が刊行された。
《ハンガリー舞曲集》に作品番号は付いていない。これが自作ではなく、伝統音楽の編曲にすぎないことをブラームスが慮ってのことであった(とはいえ、第11曲、第14曲、第16曲の主題は、完全にブラームスの創作であったらしい)。のちにレメーニは《ハンガリー舞曲集》の成功を知ると、これが盗作であるとして、ブラームスを相手に訴訟に持ち込んだ。結果はブラームスが「作曲」ではなく「編曲」としておいたことが幸いして、ブラームスが勝利した。
ブラームスは自分の《ハンガリー舞曲集》の成功に自信を得て、アントニン・ドヴォルザークに《スラヴ舞曲集》を作曲して収益を得るように助言している。もっともドヴォルザークは編曲ではなく、民族舞曲の性格と特徴を取り入れ、自作の主題によって曲集をまとめ上げた。なおドヴォルザークは、《ハンガリー舞曲 第4集》を管弦楽用に編曲している。
ブラームスについて
ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms, 1833年5月7日 - 1897年4月3日)は、19世紀ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者である。J.S.バッハ(Bach)、ベートーヴェン(Beethoven)と共に、ドイツ音楽における「三大B」とも称される。ハンブルクに生まれ、ウィーンに没する。作風はおおむねロマン派音楽の範疇に属するが、古典主義的な形式美を尊重する傾向も強い。
一部には、ブラームスをしてベートーヴェンの後継者ととらえる人もおり、指揮者のハンス・フォン・ビューローは彼の交響曲第1番を「ベートーヴェンの交響曲第10番」と評した。
ふむふむ・・・・・
つまり、偉大なドイツ人音楽家のブラームスが、ジプシー音楽をちゃんとしたピアノ曲にしたんですね(ざっくりすぎるだろう)。
ともかく、5番の練習は、やっとこ譜読みが終わったかな??と思って録音してみたら、全然ダメでした。
まずはメトロノームに合わせないと・・・・・そう思ってやり直し、楽譜と照らし合わせてみると、やっぱり全然ダメでした。
左手のアルペジオは手がギリギリすぎて、5番の指は離れてしまいます。

でもこのアルペジオ、さらっと弾かなくちゃいけないらしい・・・・。
たった2ページの曲ですが、すごく速い曲です・・・・・今は繰り返しを省いても4分ぐらいかかってしまいます・・・弾けるようになる日はくるんでしょうか・・・・。
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