小プレリュード924 裏話
いつものことと言えばそうだけど・・・・アホなことをつらつらと書いてみようと思います。
なんでこの時期に・・・・と思うのだけど、今更になってバッハ小プレリュード924をユーチューブで色々聴いてみています。
きっかけは、オショーズの一人Yさんが書いていた、「グールドのように弾く人が多い」という一言で、えっ?そうなの??と思ったからなのですが(オショーズとはなんぞや?についてはそのうち記事にしようと思っています)。
わたしは最初、この曲は、グールドみたいに弾きたいと思っていました。
なぜなら、わたしにとってこの曲は「小人の大冒険」だと思ったからで、グールドのイメージが一番近かったから。
なぜ「小人の大冒険」かというと・・・
小人(若い男性のイメージ)が森の中をてくてくと歩いていて、何しろ小人だから、わたしたちのような普通の人間が感じることとまったく違う感性で自然を見ているのです。
空はもっともっと高く、木々ははるか上まであって、大きな鳥が飛んでいて、小人と同じくらいの大きさの虫がいて、歩くと土や葉っぱの音がして。
森の中を歩くのはそれだけで大冒険。いつ鳥に襲われるかわからないし、足が小さいからちょっとした水でも容易に足を崩します。
それでも目的地に向かって、明るい気持ちで意気揚々と歩いていきます。
様々な形や色の草、生き物。
森の地面のほうは、光がところどころしか入りませんから、その光が当たる部分は何とも言えず美しい。
死んでいる虫もいます。
その横で、懸命に食べている虫もいます。
小人に気が付いた虫は、どうぞ、と道をあけてくれたかもしれません。
小さな(実際は大きな)花も見えます。
なんてきれいなんだろう・・・・・生きてるってなんてすごいことなんだろう・・・・。
そうして、小人は森を抜けて、目的地に着きました。
どこまでもどこまでも果てしなく続く景色が目の前に広がります。
気持ちのいい空気、気持ちのいい空!
ああ、僕は、こんなきれいな景色を見れて、なんて幸せなんだ!生きてるってなんてすばらしいんだ!それが最後の和音。
音楽理論とかわかってないですから、ほんと、素人の勝手な妄想です。
ところがレッスンで先生に「小人の大冒険だと思ってる」と言うと、教会のイメージだと言われました。
それで、和音にして何度も何度も弾いては、教会をイメージするようにしていたのですが、どうしても何かが違う。
だってそれは、わたしじゃない、ほかの誰かの?イメージだからです。
そこで、本番直前になって、やっぱり小人にしよう、と決めました。
先生には内緒です。
ただし、今度は、小人が生まれて初めて教会に足を踏み入れたところから始まります。
見たこともない絵や細工や色に、感動した小人は、
ああ、なんてきれいなんだ!世の中にこんなきれいなものがあったとは!!と思います。
わくわくしながらドキドキしながら、時には胸をしめつけられながら、歩きます。
ステンドグラスからの光が床にさし、見たこともない不思議な色合い。
教会ですから、音楽も流れてきます!
なんだこれは!!???
小人は楽器の音なんて聞いたこともないんです。
きれいなきれいな音の重なり、それが、和音。
子供がたぶん生まれて初めて出会うみっつの音のハーモニー、「ドミソ」。
ああ、音楽って、楽しい!音楽って、涙が出るほど感動する!!それが最後の和音です。
・・・・・・全然そんな風に弾けるようにはなりませんでした。
いつだって、本番前には、「わたしが出したいのはこんな音じゃないのよぉぉぉ!!」と思っています。
結果的に、グールドでもなく(そもそも真似できるわけがない)、厳かな教会でもなく(教会に行ったこともないのにそんなん無理に決まってる)、森の冒険でもなくなったけども(それができたらピアニストになれるね)、
そんなアホなことを考えながら、前記事の演奏があるってことです。
で、話を戻して、ユーチューブで色々聞いていたらですね、ほんとに様々な演奏がありました。
どれもこれも、違います。
いったいどういう風に弾くのが一番いいのかわかりませんが、
「グールドみたいに」は、「わたしが弾きたい924」じゃないと気が付きました。
「こんな風に弾きたい!」とあれほど強く思ったのに。
グールドの真似をしたらだめだと先生に言われて、「どうして真似したらいけないの?!」と思ったのに。
・・・・・・わからないものです。
レッスンしてくださった先生はもちろんですが、楽譜を下さり、この曲に巡り合わせてくれて、グールドの真似をすることの考察を記事にしてくださった(いや別にわたしのために書いてくれたわけじゃあないが)、SさんとYさんにも感謝を込めて、当日は弾こうと思っています。
感謝なのに・・・・・・やらかしちゃったらすみません・・・・・・・
先に謝っておきます(笑)
なんでこの時期に・・・・と思うのだけど、今更になってバッハ小プレリュード924をユーチューブで色々聴いてみています。
きっかけは、オショーズの一人Yさんが書いていた、「グールドのように弾く人が多い」という一言で、えっ?そうなの??と思ったからなのですが(オショーズとはなんぞや?についてはそのうち記事にしようと思っています)。
わたしは最初、この曲は、グールドみたいに弾きたいと思っていました。
なぜなら、わたしにとってこの曲は「小人の大冒険」だと思ったからで、グールドのイメージが一番近かったから。
なぜ「小人の大冒険」かというと・・・
小人(若い男性のイメージ)が森の中をてくてくと歩いていて、何しろ小人だから、わたしたちのような普通の人間が感じることとまったく違う感性で自然を見ているのです。
空はもっともっと高く、木々ははるか上まであって、大きな鳥が飛んでいて、小人と同じくらいの大きさの虫がいて、歩くと土や葉っぱの音がして。
森の中を歩くのはそれだけで大冒険。いつ鳥に襲われるかわからないし、足が小さいからちょっとした水でも容易に足を崩します。
それでも目的地に向かって、明るい気持ちで意気揚々と歩いていきます。
様々な形や色の草、生き物。
森の地面のほうは、光がところどころしか入りませんから、その光が当たる部分は何とも言えず美しい。
死んでいる虫もいます。
その横で、懸命に食べている虫もいます。
小人に気が付いた虫は、どうぞ、と道をあけてくれたかもしれません。
小さな(実際は大きな)花も見えます。
なんてきれいなんだろう・・・・・生きてるってなんてすごいことなんだろう・・・・。
そうして、小人は森を抜けて、目的地に着きました。
どこまでもどこまでも果てしなく続く景色が目の前に広がります。
気持ちのいい空気、気持ちのいい空!
ああ、僕は、こんなきれいな景色を見れて、なんて幸せなんだ!生きてるってなんてすばらしいんだ!それが最後の和音。
音楽理論とかわかってないですから、ほんと、素人の勝手な妄想です。
ところがレッスンで先生に「小人の大冒険だと思ってる」と言うと、教会のイメージだと言われました。
それで、和音にして何度も何度も弾いては、教会をイメージするようにしていたのですが、どうしても何かが違う。
だってそれは、わたしじゃない、ほかの誰かの?イメージだからです。
そこで、本番直前になって、やっぱり小人にしよう、と決めました。
先生には内緒です。
ただし、今度は、小人が生まれて初めて教会に足を踏み入れたところから始まります。
見たこともない絵や細工や色に、感動した小人は、
ああ、なんてきれいなんだ!世の中にこんなきれいなものがあったとは!!と思います。
わくわくしながらドキドキしながら、時には胸をしめつけられながら、歩きます。
ステンドグラスからの光が床にさし、見たこともない不思議な色合い。
教会ですから、音楽も流れてきます!
なんだこれは!!???
小人は楽器の音なんて聞いたこともないんです。
きれいなきれいな音の重なり、それが、和音。
子供がたぶん生まれて初めて出会うみっつの音のハーモニー、「ドミソ」。
ああ、音楽って、楽しい!音楽って、涙が出るほど感動する!!それが最後の和音です。
・・・・・・全然そんな風に弾けるようにはなりませんでした。
いつだって、本番前には、「わたしが出したいのはこんな音じゃないのよぉぉぉ!!」と思っています。
結果的に、グールドでもなく(そもそも真似できるわけがない)、厳かな教会でもなく(教会に行ったこともないのにそんなん無理に決まってる)、森の冒険でもなくなったけども(それができたらピアニストになれるね)、
そんなアホなことを考えながら、前記事の演奏があるってことです。
で、話を戻して、ユーチューブで色々聞いていたらですね、ほんとに様々な演奏がありました。
どれもこれも、違います。
いったいどういう風に弾くのが一番いいのかわかりませんが、
「グールドみたいに」は、「わたしが弾きたい924」じゃないと気が付きました。
「こんな風に弾きたい!」とあれほど強く思ったのに。
グールドの真似をしたらだめだと先生に言われて、「どうして真似したらいけないの?!」と思ったのに。
・・・・・・わからないものです。
レッスンしてくださった先生はもちろんですが、楽譜を下さり、この曲に巡り合わせてくれて、グールドの真似をすることの考察を記事にしてくださった(いや別にわたしのために書いてくれたわけじゃあないが)、SさんとYさんにも感謝を込めて、当日は弾こうと思っています。
感謝なのに・・・・・・やらかしちゃったらすみません・・・・・・・
先に謝っておきます(笑)
スポンサーサイト