シャボン玉

2月に入ってから始めたこの曲。いつものように超~~~スローモーションで始まり、ある程度速度があがったところで発表会などで中断して、再開して速度を落としてやり直し、現在八分音符126から132あたりがギリギリ。ノーミスでは弾けない~毎回間違っちゃいます( ;∀;)
今は脳内ではこの曲はこんなイメージ。
小さなシャボン玉が、ひとつ、またひとつ、あがる場面から始まります。
シャボン玉はひとつひとつ色が違っていて、だんだん増えたり大きくなったりして、全部割れたかと思うとまたあがってきます。
2ページ目のpで弾くところは、ピンク色のひときわきれいだけど小さな小さなシャボン玉。割れないようにそおっとそおっと弾きます。
最後はたくさん、たくさん、一斉に、空にあがっていきます。
それを、小さな子供が、そうだなあ・・・・1歳か2歳ぐらいかな。そのぐらいの子供が、目を輝かせて見ている、そんな曲です。
シャボン玉を飛ばしているのは大人だから、ひとつひとつのシャボン玉の中には想いも詰まっていたりするんですが、小さな子供にはただただきれいで不思議で面白いもの、といった感じ。
それってなんだか、ちょっと音楽と似ているような気もします。
演奏している人には背景や想いがあって、聴くほうはそこまでわからないけど、美しいものに感動したりする。
そして消えてなくなるはかないもの。
吹いてみるまでどのくらいのシャボン玉ができるか、どのくらいあがるかなんて分からないし、二度と同じシャボン玉はできません。
・・・・もちろん、そんな風には弾けやしません(;´▽`A
この間楽譜屋さんに行った時、ずっと見てみたかった根津先生のツェルニー30番の本を見てみました。
ツェルニーでは、根津先生の本に沿ったピティナの動画と、とあるお子さんの動画がお気に入りで、いつも参考にしてきたから、一度見てみたかったのです。お気に入りの理由は、技術的に素晴らしいだけではなく、その弾き手のどちらにも「音楽がある」と思うからです。単なる練習曲じゃなくて、ちゃんと「曲」だと思うからです。
楽譜には、曲のタイトルだけではなく具体的なイメージが結構書いてあり驚きました。
わたしはそれを見たとき、意外にも、己をわきまえず、恐れ多くも、・・・・これはこの人のイメージであって、わたしのじゃない・・・・と思いました。
ひとりひとり違うイメージがあってもいいんじゃないかな・・・・と思いました。
ツェルニーをやるかやらないかについては、賛否両論?あるらしいですね。
別にやらなくたっていいと、わたしも思います。
わたし自身、やめたくなったことが何度もあります(;´▽`A
練習はありえないほど地味だし、時間をかけて頑張ったところで、発表会で弾くような曲でもない。
いや弾いたっていいんでしょうけど、バッハを弾くより怖いです(-_-;)
投げ出したくなっても、おまけだろうと合格すると嬉しくて、新しい曲の譜読みはハネムーンみたいに楽しくて、中断しては再開し、なんだかんだで5年もかけています。
ツェルニーはつまらない、ツェルニーは音楽的に劣っている、そう思うのも自由だし、そう思わないのも自由ですよねえ。
イメージがあってもわたしはいつだって技術が伴いません。
イタイ音かもしれません。
でもこんな人がいたって、こんな中年がいたって、いいですよねえ。変わり者でも、いいですよねえ。