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自慢してるの?

ずっと前に、女性複数で話していて、わたしが「前に~さんがこんなことを言っていた」という話をしたら、それは自慢だろうと言う人がいた。その場にいた人も、自慢だろうに同意していた。

わたしは、自分が外国人になったような気分になった。

なぜなら、わたしはそれを言われたときに自慢だなんて考えもしなかったから。

嬉しそうな話、楽しかった話は、聞いていて、読んでいて気持ちがいい。

嬉しいことや楽しいことを話す、もしくは書くときに、自慢にならないように気を付けなくてはいけない、そういう注意は必要らしい。

それを注意するようになったのは女性ばかりの世界に身を置いていたためだと、自分では思っていた。

しかし、男は外に出れば7人の敵がいるというけど、女だっておんなじだよ、と夫は言う。

言われてみたらそうかもしれない。男も女もないのだろう。



仕事の愚痴を話すのに、夫は適任だ。

その世界の中にいないから、客観的なアドバイスをくれる。

アドバイスは時に厳しいが、わたしにはありがたい。

わたしが愚痴を話すときは、たいてい「どうしたらいいか?」の解決策を求めているから。

でも、多くの女性がそうじゃないことも知っている。

「ただ話を聞いてほしい」、それはもちろんわかる、わたしもそういう時がある。

だけど、歳を重ねるごとに、「ただ話を聞いてほしい」は年々減少してきた。



「ただ聞いてほしい」は、たとえばこうしたブログもそうなのかもしれない。

話したいことをいつも誰かに話せる人はブログを書く頻度は減るのだろうか?

わたしはピアノの話をとにかくしたいから書いている。

もしも日常的にリアルでピアノの会話をできたなら、きっとブログは書かなかったと思う。

好きなブログは、今日はこれこれをしましただけよりも、何を考えているか何を感じているかがが書かれているもの。



そういえば先日、某SNSで、子供など、素人の演奏動画は見てもいいけど参考にするのはあまりよくない、という話題が出ていた。

わたしはブロともさんの演奏動画(録音)は好きだ。聴きたい。励みになる。

ピアノの世界もいろいろな考え方があるようで、難しい。

難しいから、おせち料理の作り方(ピアノの弾き方)を教わっている身としては、ひたすら自分の指導者からレッスンで言われたことをやることにしている。まずはおせち料理を作れるようになりたい。

それから、自分が気持ちがいいと感じるもの(人)、楽しいと感じるもの(人)、そうした自分の感覚を頼りにしてもいいんじゃないかなあと、思っている。

他の人が自慢と感じたとしても、自分が、わあ、よかったねえ!嬉しいな~と思うなら、それでいいんだ。

他の人が、あの人ってちょっと・・・と言ったとしても、自分が一緒にいて気持ちが穏やかになるなら、それでいいんだ。

友達を選ぶ基準だけではない、職場、ピアノの指導者、そうした、自分が選択できるものを選択するとき、そういう感覚が基準になっているような気がする。感覚だから「なんとなく」なのだ。説明なんてできない。「理由はわからないけどいい気持になる、楽しい」とかだもの。逆に言えば、どこの学校を出ているかとか、わたしにはあまり関係がない。



こうして、加齢とともに、ゆるやかにしかし確実に、頑固ばあさんになっていくような気がする、今日この頃。












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